路上にこだわる人々−今どきの大道芸人たち
歩行者天国や街角で見かける大道芸人は、警察の取り締まりや商店街の締め出し、ヤクザの言いがかりなど、さまざまな制約のなかで活動を続けている。路上にこだわる芸人たちの姿から、日本社会が切り捨ててきた「文化」が浮かび上がってくる。
「もっと高く見たいですかァ? もっともっと高く見たいですかァ?」
新宿の歩行者天国を歩いていると、人の輪の向こうから大きな声が聞こえてきた。どうやら大道芸が行なわれているようだ。背伸びして中をのぞいてみると、派手な水玉模様のシャツに身を固めた二人組みの姿が見えた。
二本の棒に結ばれた糸で、お椀を二つ底合わせにしたようなコマを空中高く投げ上げている。何度か繰り返しながら、客の気分を高めつつ、周囲の歩行者の関心を集めるのが狙いだ。
芸をしているのは「つぶつぶオレンジ」の二人で、「赤」こと中嶋潤一郎さん(24歳)と「緑」こと本多宏充さん(24歳)である。
中嶋さんは、高校一年の終わりに出場した「数学オリンピック」で、数学者で大道芸人でもあるピーター=フランクルさんと出会い、ジャグリング(西洋お手玉)を知る。学校に戻って披露すると、本多さんがいちばん興味を示した。そして、上京した二人は93年8月にコンビを結成している。
人が集まってくると、軽快な音楽に合わせて“本番”が始まる。シガーボックスと呼ばれる箱を使って、左右に入れ替えたり回転させる。それに合わせて観客も盛り上がり、あっという間につぶつぶオレンジの世界に引き込まれてしまう。
ところが、そこに警察官が割り込んできた。人込みができると歩行者が通れなくなるという理由で、大道芸は終わってしまった。周囲では「やらせてあげればいいのに」とつぶやいている人も多いが、歩行者天国の中央には「人寄せ行為はできません」と書かれた看板も立っている。
警察官が止める理由は、道路交通法である。第5章第1節の「道路における禁止行為等」で、交通の妨げとなる行為の禁止と、道路の使用許可について触れられている。
加えて、新宿の歩行者天国の場合は、新宿大通り商店街が反対している点も挙げられる。今年5月の連休から取り締まりが強化され、5月10日の日曜日には商店街の人と警察官が巡回して、芸人の写真を撮りながら「ここで大道芸はやりません」という内容の誓約書を書かせていた。
規制される大道芸
現在の大道芸人のなかで草分け的存在のギリヤーク尼ヶ崎さんとともに日本を代表する大道芸人で、「人間美術館」として世界的にも知られている雪竹太郎さん(39歳)に、規制の流れについて聞いた。
雪竹さんが最初に大道芸を行なったのは、1983年秋の表参道だった。このときは近くに交番があるのに気づかなかったため、始めて2、3分で止められてしまった。まだ「大道芸」という言葉が一般的ではなかったため、このときの警察官は「路上で芸術をしようとして」と下書きした。
以後、大道芸のできそうな場所を見つけながら演じてきたが、何度も警察官に止められてしまった。取り締まりに対して将来の不安を感じた雪竹さんは、88年夏から活動の場所を海外に広げていく。
一方で、80年代末には、円高の影響もあって、外国から来た大道芸人の姿が目立つようになる。渋谷のハチ公前では毎晩のように何組かが競って演技をしていた。
ちなみに雪竹さんは、89年初めの「昭和」最後の日と「平成」最初の日、一カ月半後の「大喪の礼」の日にもハチ公前で演じている。
「自粛ブームの少し前あたりから、ハチ公広場の大道芸が黙認に近い状態になっていました。それで警察も急にはやめろとは言えなかったのでしょう。思えば、この前後3年間が東京でもっとも大道芸がやりやすかった時代でした」
ところが、雪竹さんが3度目の海外遠征から戻った90年秋、ハチ公前の広場に「大道芸禁止」の告知が出てしまった。ちょうど「即位の礼」が行なわれる少し前で、このころから東京の街頭管理は厳しさを増す。そして92年4月に、雪竹さんはハチ公前でも「始末書」を取られることになる。
93年春になると、代々木公園や上野公園などの大規模公園で大道芸人の締め出しが始まった。同じ時期には、代々木公園に集まったイラン人を、入国管理法違反で集中的に取り締まっていた。この流れは横浜の山下公園にも及び、夏になると横浜市は警備会社に委託して大道芸人を排除するようになる。
海外から来た芸人たちは別の国に移動して、日本で暮らす芸人たちは、イベントなどで生活の糧を得ながら、渋谷や原宿、新宿などの歩行者天国や、地方都市で大道芸をするようになった。
取り締まりが厳しい時期とそうでない時期が交互に訪れ、すきまを縫うように芸人たちは路上で演じ続けているが、その間隔はしだいに短くなってきているようだ。
そして95年3月に地下鉄サリン事件が起こると、再び取り締まりが強化される。翌96年1月には、「ホコ天」の愛称で知られていた原宿の歩行者天国もついに廃止され、同じ月に新宿西口の地下通路に連なっていた“ダンボール村”の住民を強制退去させようとして、東京都と支援団体は激しく衝突した。道路や公園が市民のものでなく、行政に管理されている状況を変えないかぎり、このような問題は繰り返されるだろう。
新宿タカシマヤの試行錯誤
そんな状況のなかで、昨年夏に新宿タカシマヤ・タイムズスクエアで「新宿パフォーマンス・パーク」計画が持ち上がる。これは、新宿の歩行者天国から締め出された芸人たちに場所を提供するのが目的で、秋にはそのきっかけとなるコンテストが予定された。
ところが、企画を進めていくうちに関係者に行き違いが生じて、歌舞伎町商店街とタイムズスクエアで同じようなコンテストが開催されることになってしまった。
当事者間の話し合いで和解したものの、朝日新聞の記者がこの問題を記事(97年8月28日付)にしてしまい、両者の関係は再び悪化する。大道芸人に場所を提供したいという共通の願いは無視され、表面的な問題だけをとらえた記者の対応にも問題があったようだ。
けっきょくコンテスト終了と同時に新宿パフォーマンス・パーク実行委員会は解散し、翌年春には開放するはずだった計画も宙に浮いてしまった。
「大道芸」というのは、日常の世界にふと現れる演芸空間である。思いがけない出会いを楽しみ、楽しんだぶんだけ投げ銭を出す。もしくは出さない。フェスティバルのように決められた時間と場所で行なわれたり、コンテストのように優劣を競うものとは根本的に違っているのだ。
新宿タカシマヤ側もその点は大いに反省したようで、できるだけ管理しない方向で場所を提供できないか、再度検討中だという。
また、今年の3月20日には、線路を挟んだ反対側に「新宿サザンテラス」がオープンした。これは新宿駅南口再開発の一環で、線路上に張り出したテラスを含めた2.5ヘクタールの敷地に、新宿サザンタワーと呼ばれる複合ビルとJR東日本の本社ビル、レストランなどが並んでいる。
サザンテラスとタイムズスクエアの間は東西横断デッキで結ばれ、西口からタイムズスクエアへ向かうのも楽になった。これによって人の流れが変わり、新宿パフォーマンス・パークの計画にも影響が出てきそうだ。できれば、タイムズスクエア周辺だけではなく、サザンテラス側でも大道芸が見られるようになってほしいものである。
文化としての大道芸
人が集まる所に芸人や商人が集うのは自然の成り行きである。特に江戸時代、江戸の下町には多くの大道芸人がいた。手品や軽業、猿回しや見世物小屋などなど。ガマの油売りをはじめとする“タンカバイ(口上売り)”も盛んに行なわれ、明治に入るとバナナのたたき売りも現れた。
大道芸に代表される“放浪芸”は、常に差別と許容の歴史を繰り返してきた。身障者を見世物にする奇形見世物小屋、ゴゼと呼ばれる盲目の女芸人などは、そのいい例である。思えば、このような世界があったことで、多様な人の存在を認識していたのかもしれない。
都市の盛り場には大勢の商人や芸人が集まり、街には活気があった。ところが、「文明開化」の波のなかで、しだいに路上風俗の取り締まりが厳しくなってくる。盛り場に出かける人にとって街は非日常の世界であるが、管理が行き届くと日常の世界と変わらなくなってくる。今の繁華街は、たんに消費するための場所となり、心を躍らせることもなくなってしまった。
また、明治以降から管理された社会になり、管理される一方で、事故があった場合に責任を押し付ける風潮が現れてきた事も見逃せない。道が管理されている社会の仕組みも悪いが、大道芸の人込みで子どもが歩きにくいとか、火を使っていて危ないといった“苦情”を訴える市民の側にも問題が潜んでいる。もっともそういう声はごくわずかで、多くの人たちは芸を楽しみ、投げ銭を置いていく。
規制に負けずに日常のなかに演芸空間を作ろうとしている大道芸人の存在は、日本人が忘れてしまった心の豊かさを思い出させてくれるのではないだろうか。
【今どきの大道芸人たち】
※『週刊金曜日』1998年6月5日(No.221)号より転載
問い合わせ先/(株)金曜日 (03)3221-8521
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